こんにちは。新3年470スキッパーの石田です。
本日の練習を報告いたします。
午前は、クラス別でセーリング練習、ラウンディング練習を行いました。
午後は、クラス別でセーリング練習を行いました。
本日は、大木先輩(S60年卒)、神風監督(H28年卒)に陸上にてご声援をいただきました。
誠にありがとうございます。
僕の今年の抱負は「生きる」ことです。
心配になってくれた優しい方々へ、心配しないでください。そういう意味じゃありません。
本文に入る前に下らないですが、前菜みたいな話をさせてください。
ちなみに下らないという言葉は不思議な言葉ですよね。この言葉は江戸時代に京都など上方から江戸に運ばれてくる(下ってくる)品物が良いものとされていたことから来ているそうです。つまり下ってこない、出どころのわからないものはそんなに良くないものとされていたらしいです。ということは下らないの対義語は下るということのはずなんですよね。最近の日本語では見たことがありません。というのを僕は3年前に’『菜の花の沖』という本に出会ってからこの言葉に触れるたび思います。
今のはおしぼりです。次はサラダですかね。(この下らない例えもこれで終わりです。)
最近成人式を迎えました。同窓会にも出ました。小学校の時に埋めたタイムカプセルを掘り起こしたりもしました。
そういう事情があり、いい機会なので僕は自分の人生を見つめ直す時間をとりました。これまでの自分を振り返ってこれからどうやって生きていこうかなと考えました。
振り返る過程で僕を形作っている本や映画や音楽や自分の日記、僕の人生の参考文献みたいなものを色々当たっていました。
自分のブログも読み返しました。いい本と比べているからなのか、僕のブログは数個を除いて僕にとって全く面白くありませんでした。一周回って笑っちゃうとかもなく普通に真顔になりました。原因と致しましては、ブログを書くのは難しかったんです。言い訳ですが書きます。ブログというのは、提出してしまうと本当にありがたいことですが不特定多数の人に読まれますし、一度アップしたものは半永久的に消えません。デジタルタトゥーってやつです。それが怖っくって怖っくって、チキった当たり障りのない面白みのない文章が製造されていたようです。僕は自分語りが好きではありません。僕という人間は語れるほど偉くないという気持ちがあるからです。けれど、人生振り返りの結果、面白くないのは仕方のないこととして、最低限読み応えのある文章は書きたいなと思いました。それでこれまでは人に伝えてこなかった、というより努めて表現しないようにしていた自分の考えなどもモノは試しで書いてみることにしました。
さて、本文です。「生きる」というのは僕がよく書く言葉です。僕は自分の考えを紙に書くことをよくするのですがその紙に頻出するのが「生きろ」という言葉です。先に書いたタイムカプセルの話ですが、それには当時小学校6年生の僕から20歳の僕へ宛てた手紙が入っていました。それにも「好きに生きろ」と書かれていました。(ちょっと驚きました。ませたガキだなと思いました。もっと将来の夢とか可愛いことを書いているのを期待していました。まあ僕らしくて宜しいです。)高校3年生の時から、単行本型のノートに自分の思ったことなどを書き留めているものがあるのですが、もちろんそれにも「生きろ」がたくさん出てきます。見開きいっぱいにどでかく書いたものや、呪文みたいに「生きろ生きろ生きろ生きろ・・・・・」と書いていたり、(多分普通の人は心配するので人には見せられません。)あとは大学受験の模試の問題用紙にも書かれてあったりします。とにかく、「生きる」は僕にとって大事な言葉です。
この「生きる」は 生存すること の意味ではありません。精神的な表現です。
「生きる」は 自分の思想に従って行動すること を表します。僕にとって自分は僕の思想です。それを「生かせ」という意味で「生きろ」と言います。逆に、自分の思想に反した行動をしている時、僕は「死んでいる」と言います。それだと思想は育たないからです。思想と書くのは何だか大袈裟な気がするので思考と読み替えてもらって構いません。大事なのは思想が育っているかどうかです。それが僕の価値だと思います。
残念なことに僕は死んでいることがあります。分かりやすく共感してもらえるのは例えば何も起こらないのにYouTube やインスタを見ている時間とかです。共感してもらえないことでいうと学校に行きたくないと思っているのに学校に行く時間、やりたくない勉強をしている時間などです。そう言う時僕は死んでいます。例えば、学校に行きたくない、行かないほうがいいという思考に至ったとします。その時実際問題行ったほうがいいとか悪いとかは関係ありません。行かないほうがいいと思ったら行かないでみることに意味があるのです。それで何を学ぶかは実際に行かなかった人だけが得られることです。行かないことで学校の良さや必要性も学ぶこともあるでしょう。学校の悪いところや不必要生も学ぶかもしれません。。何にせよ行かないほうがいいと思っているのに行ってしまっては何も学べません。学校に行かなくてもいいという思想を持った人の中では、実際に行かなかった人だけが生きていて、それでも行き続けた人は死んでいるのです。
ここで僕が生きる、死ぬと言う言葉を使うのには他に言い方が見つからないというだけではなく、理由があります。僕的にピッタリな表現なのです。
死んだら天国か地獄に行くけれど、 正直者だけが天国に行ける と聞きます。
自分の思想に素直に正直に行動してきた人がもう十分だと思って、思想の成長を放棄した時、そこから見える景色は綺麗で、自分の思想に反した行動をしてきた人が思想の成長を放棄した時に見る景色は残酷に感じられます。
死者に口なしと言いますが、思考を続けている人にとって、思考を辞めた人の言葉は聞くに値しないものになってしまいます。
という風に僕にはこの生きる、死ぬという表現がしっくりきているのです。
自分の思想の通りに動かないと自分の思想は育ちません。思想が育たないと言うことは僕の価値が上がらないと言うことです。これでは僕の存在理由がなくなってしまいます。だから生きろと言うのです。
生きることは時に大変で、けれど美しく価値あるもので、死は怖いもので、何も考えなくても、直感的にも明らかに避けないといけないもので、そういう感覚で自分の思想を大事にしたいという意味で「生きる」という表現をします。
僕は生きたいです。死にたくありません。
生きることは辛かったりしますが、生きている時の自分は輝いています。
僕の今年の抱負は「生きる」ことです。
一旦後書きみたいなことを書くと、上の文章は実はこのブログ用に書いたものではなく、今年初めに僕が僕の為に書いた文章を、ある程度人に読ませる形に整えたものです。
一旦と書いたのには理由があります。
そう、このブログはまだ続くのです。というのも、ヨット部のブログなのに、ヨットについて全く触れていません。これでは終われません。(ここまで2,700文字)
99代は僕にとって最後の準備の代です。(もちろん、今年結果を出すことも大事です。)
目標、理想は今年、インカレで勝てる選手の作り方を確立して、自分がその実践例になって結果を残すことです。同時に100代に向けて、チームとして結果を残せる土台を作ることも必要です。
ヨットという競技は、いやヨットに限った話ではないかもしれませんが初心者からして、成長の順序が見えないものです。
1つレースに出ると、1つ課題が見つかり、その課題を元にこうしたら勝てるんじゃないかという仮説を持って練習をして、次のレースに出るとそれでもまだ勝てず、次の課題が見つかり、また仮説を立てる。という作業の繰り返しです。全個、全日本470を受けて、ヨットというのはスピードだ!!と思ったら、その前にスタートがあったので今度はスタートを練習しないといけないという具合です。僕はまだ勝てるセーラーじゃないので、どこに終わりがあるのか分かりません。あと何レース経験すれば勝てるのか、暗闇です。それでも確実に言えることは、僕は毎レース学んでいて、毎レース新しい成長した状態で臨めていて、着実に勝ちに近づきつつあるという事です。
今年、僕が勝てるようになれば、来年はその経験を元にチームを同じ状態に持っていくという明確なプランの下チームが作れます。その為にも死ぬ気で今年中に勝てるセーラーになります。
僕は今同期の藤原とペアを組んでいます。
どちらもある程度ヨットができて、僕の感覚的には自分もお互いにもある程度そのことを認めている現状があります。問題なのはそれで勝てると思っていない事です。今の自分たちなら勝てるという自信があれば、自分とペアを高く評価することは素晴らしいですが、勝てそうにないのに課題意識が無いことは単に勝てないレベルでの足踏みにつながってしまいます。だから今の僕や、僕たちペアにはレースで勝つ為には何が必要なのか、何を練習しないといけないのかしっかり考える必要があります。これまでのところ、僕の中で470という競技は、クルーとスキッパーが交互に上手くなっていく物のような気がしています。まずクルーがバランスを取れるようになって、フラットな船に乗っているスキッパーがヘルムの使い方を学び、スピードを出せるようになって、スピードを出せるスキッパーとのるクルーだけがレースでコースを引くことが練習できてという具合です。次のステップが何なのかまだ及んでいないので確証はないですが、2人で探していかないといけません。僕の仮説は上の最後のステップ、スピードを持ったスキッパーのクルーがコースを弾けるようになる、が半分間違っていて、スピードを持った船に乗る2人が、コースを考えられるようになり、レースで良いコースを引く為に、この風ではこうする、スタートはここから出る、この順位ではこうするというありとあらゆる可能性をイメージして、船がレースにおいて求める順位をとれるための方程式を組み立てるというプロセスが必要だということです。合っているかどうかは分かりません。そもそも上の書き方は文章として理解しづらく、自分の仮説がしっかり整理されてすらいないと感じています。何にせよこれからまずは新人戦までの期間で2人の仮説を見つけ、それに見合う実力をつけることが必要です。同期ペアだからこそある程度できる状況に甘えることなく、しっかり考えて上手くなりたいです。
デジタルタトゥーを考えないだけで、自分でも驚くほど書きたいことが浮かんできてこんなに長い文章になってしまいました。
まだまだ書きたい事は尽きませんが、お腹も空いたので今回はここで終わろうと思います。
こんなに長い文章を最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございました。
写真は小学校のタイムカプセルを掘り起こした際、当時の担任の先生から返却してもらった家庭科のレポートです。
父の感想が適当すぎるのが僕にはとても面白く撮っておいたものです。
こんな適当なものが8年越しに掘り起こされるのだから、デジタルタトゥーなんてそんなに怖がるものじゃないのかもななんて思ったり思わなかったりです。
失礼します。