「久野克海という男」

私は今、久野克海という男に嫉妬をしているんじゃないかと思っています。

 

初めに、先ほど久野、有川とご飯を食べに行き、家についたそのままの勢いでブログを書いています。普段書きなぐりをしないので、汚く、読みづらい文章や表現があるかと思いますが、ご容赦ください。

 

まず、私はとても負けず嫌いです。常に他人より自分がよい状態でいたいと思っています。

例えば、ある先輩と自分が同じ年齢になった時、私はその当時の先輩よりもよい姿でいたいです。当時あの先輩はこうだったから、俺はそれをもちろん達成していて、より派生したものを、より自分にしっくりした形に、より良いものにしてもっていたい。先輩は超えるためにあるものだと思っています。

でも後輩にはそうは思いません。自分よりも数年後に産まれた分、より少ない経験値なはずなのにすでに自分よりも優れたものをもっていれば、それはその人がすごいんだと素直に尊敬できます。だから負けず嫌いとかは発生しません。

ですが同い年となれば話が変わってきます。先輩との比較は自分が作り上げたその先輩像との比較になりますが(先輩と自分が同じ年齢になることはないので)本当に自分が先輩より優れていてもいなくても結局は自己満足に終わります。

しかし、同い年というものは同じ年数を生きて、同じくらいの経験値でさらに明確に比較ができます。ある種言い訳できません。俺がこいつに負けているのはこれなんだとまっすぐに受け取れるのが自分にとっては同期、同い年のいいところです。

 

さて、いま私が存分に負けず嫌いを発揮しているのが久野克海という男ですが、私が彼をうらやましく思う理由は、ものの考え方というか、思考プロセスというかです。

 

まず、私は久しぶりというかおそらく初めて人の能力というものに嫉妬しています。というか普通嫉妬なんてしません。

例えば、運動神経が良いとか絵がうまいとか、はたまたピアノが弾けるとか。

これらは先天的なものや練習、学習によるものであり、いいなとは思っても嫉妬にはなりません。しかし、考えるということはみな平等にできることです。

斬新なアイデア、画期的なやり口、面白いボケ、ツッコミ。どういう生き方をすればそんなこと思いつくのか、どうやったらそうなるのか、なんで俺はこれを思いつけなかったんだ。自分はこんな感じで嫉妬するんだと思います。

 

久野のすごいところは、まず、感情のコントロールにあると思います。

今日彼自身が話してくれたのですが、彼の中には感情100、理性(なんか別の言葉だった気もします)100があるそうで、これが混ざることはないと。

確か彼は、部活の日は5:30に起きて必ず朝食をとるようにしていて、そこに眠たいという感情があっても、二度寝で部活に遅刻するリスク、朝食がとれないことによる活動のクオリティー低下を考えれば起きれるでしょみたいなこと言ってました。

何かめんどくさいと思うことがあっても、そこに意味があれば必ずやるし、意味がなければ必ずやらない。なんかあっさりとめちゃくちゃすごいこと言ってました。

 

また、彼は自己理解度がめちゃくちゃ高いです。

久野ほど、俺ってこういう人間なんだよなをめちゃくちゃ細かく言える人に出会ったことはありませんでした。自己理解度が高ければ自分の向き不向きが分かります。これは人生において超重要だと思います。自分のできることではなく、自分ができないこと、苦手なことを見つけておくこと。これがよくできていれば自然と自分が生きやすい道に進んでいきますし、なんせ他人を見抜く力、深い洞察力も同時に身につき、この人とどういう向き合い方をすれば上手くいくか理解できると思います。

 

さらに、彼は自分自身が今どういう状況にあるのかを正確に理解できています。

今自分はどういう状況にあって、どういう障壁があって、これを超えるには自分がどうならなければならなくて。彼はこれらを事細かに理解しているので、努力の方向を間違えずに、しっかりと成果を残せるんだと思います。

 

こんな感じで、久野克海にあって、宮崎遥成にないものをざっと書いてみました。

書き終わって気づいたのですが、多分これは嫉妬ではなく、かけ離れ過ぎて絶望しているんだと思います。理屈ははっきりしているのに、答えはすでにでているのに、できない。これが死ぬほど悔しいんだと思います。しかも彼にとってこれらは普通であるので、逆になぜみんなが自分と同じじゃないのかと思っていそうです。想像するとより悔しいですね。

この人生において彼に出会えて、このブログを書けたことは人生の財産です。何回も読み返してやろうと思います。

 

宮崎遥成