終戦

 

 

遠い昔、遥か彼方の銀河系で。。。。

 

 

 

こんばんは4年スナイプの冨田です。

 

 

 

この最後の卒業ブログ、

 

やっと私の番が回ってきましたね・・・!

 

 

もうすでに多くの(元)幹部が書いているので、同じ内容を書いてしまってはみなさん退屈でしょう。

 

ということで自伝をば。

 

 

そう、冨田大貴、スナイプクルー。

 

1年生として入部するや、早くもその頭角を表す。

 

夏の学内新人では多くの未経験者ライバルを抑えて、堂々の準優勝。

 

冬には1年生にして次期主将谷川さんのクルーとして全日本スナイプへ。

 

2年生になれば、今度は教養部長として、

 

そして何より同期から一足早くスナイプリーダー村上さんと共に全日本インカレに出場。

 

そのまま順調にレギュラー、主将、と部内のエリートコースを歩む。。。。

 

 

 

 

 

はずだった。

 

 

 

 

 

そう簡単にはうまくいかないのが人生ですね笑

 

 

3年になりスキッパーになれば、スナイプに転向した碧依にすぐ抜かされ、ずっとライバルとして歩んできた中野には徐々に追いつかれ、いつの間にか、抜かされ。。。。

 

 

教養部長として毎日後輩の責任を谷川さんに問われても、職責だからと思って微塵も辛さは感じなかったが、やはり前を走れないことの辛さは非常に辛かったですね。

 

 

そのまま3年生ではビブスすら着ることなく、全日には紆余曲折の末、レース期間だけでも支援艇隊長に。

 

 

今思い返してもそれぞれの学年のきつさがあるけど、3年はきつかった気がします。

 

 

4年として幹部になる時、「玄海」の新幹部紹介に(多分)森本さんが書いてくれたメッセージに感激して、挽回を誓って幹部として、前を走る姿を見せたいと思いました。

 

なかなか厳しい状況の中で戦局は好転せず・・・

 

ついにクルー復帰令が下されました。

 

幹部ミーティングで配艇を決める時に決まったのですが、自ら将至を志願して組みました。

 

「自分の任務は3番艇争いを激化させるべく、その火種になることだと。」

 

新人戦、西インと将至と参加し、ついに念願のレギュラー陣へ。

 

九州インカレも個人戦、団体戦ともにすんなり突破し、念願の全日本個人戦へ!!!

 

目標には届かなかったものの全日本団戦に向け良いイメージができ、その後の江ノ島スナイプや葉山合宿と順調に進んでいた

 

 

と思っていたところで。。。

 

 

怒涛の九州スナイプ

 

そして怒涛の配艇チェンジ

 

そして迎えた怒涛の全日本は中野とペアで4番艇としてレギュラー3艇のバックアップであった。

 

 

ここで中野という存在に特筆したいと思います。

 

 

そう、彼は九大ヨット部随一の筋肉ボディとイケメンフェイスを持つ同期である。

 

試乗会の時に仲良くなり、一緒に仲良くなった樽谷と3人で入部した。

 

この時はまだ誰も予想していなかったが、大岳合宿が終わり、クラスが決まると運命は決まった。

 

ほぼ自分の4年間は中野との競争だったのかもしれない。

 

2年の時の全日のクルーを争い、

 

3年の時はスキッパー同士で争い、

 

4年の時は3番艇を争った。

 

中野が常にチームの中にいることで、(しかもキャラや強みがほぼ逆)、いつもうまくならなきゃという気持ちが自分の中に燃えていた。

 

もちろん頼れる同期だったし、そして何より同じチームメイトとして信頼して尊敬していた。

 

でもやっぱりライバルだった。

 

ライバルとは日本語で好敵手と言う(のかな?)。

 

まさにそんな存在だったなあと思う。

 

結局勝ったも負けたもなく最後の全日をペアとして迎えれたことはある意味不思議な気持ちだった。

 

 

後輩のみんなには近づきたい先輩、理想の選手を見つけるのも大事だが、

 

本当の意味で一緒に戦える同期を見つけることは何よりも大事だと思う。

 

それぞれが本気だからこそ、ぶつかりあった時にお互いが高みに進んで行く。

 

そんな同期を後輩のみんなは大切にしてほしい。

 

 

 

(http://qyacht2013.ldblog.jp/archives/27865567.html)

ちなみにこれが私たちの入部したての頃の写真。まだ幼い!

この後の各々の決意表明兼自己紹介などそれぞれのキャラが出てて面白いですよ。

 

(http://qyacht2013.ldblog.jp/archives/41645599.html)

そしてこれが史上最強に面白かった近藤(wataru)が書いた2年の時のスナイプレギュラーの選手紹介です。

高山のくだりは必見です。

 

 

 

結局最後は碧依もスナイプにきたので三つ巴状態で本当に忙しい最後の年だった。

 

470も育や樽谷が中心になって何とか勝てはしまいかと日々苦悩していたのは、毎週幹部ミーティングで膝をつけ合わしていた幹部なら誰でも知っている。

 

航輝さんたちからヨット部を譲られ、新幹部となった時、目標を決めるという一つのことだけに本当に1日くらい使ったのを覚えている。

 

「全日本インカレ総合優勝」

 

言うは易しだが、本当にできるのか。

 

幹部それぞれが決意表明し(ある者は泣きながら)、絶対目標達成すると誓った。

 

計画も見通しもないんじゃ、絵に描いた餅だと、しっかりインカレまでのビジョンをずっと話し合った。

 

代交代ミーティングまでの1週間、文字通り不眠不休で自分たちのこれからについて話し合った。

 

人の顔をした幹部になりたいと思った。

 

もちろん勝利という見やすい報酬以外にもヨット部にいることで培い、得られる報酬は多くある。

 

それらを具現化させてあげたいと個人的にはずっと思ってきた。

 

何か先輩にやらされてるのではなく、自分からしてあげたい、最後の先輩のインカレで恩返しがしたい、そう思ってもらえるような幹部に卒業する時なっていれば自分の1年間は成功だなって思います。

 

後輩の皆さん

私の1年間は成功だったでしょうか?

 

 

 

 

今やその存在なくしてヨット部の存在は考えられないまでに成長した九大ヨット部のマネ団。

 

確かにヨット部は万人のためのヨット部ではないと思います。

 

何より勝利にこだわり、その代償に多くのものを要求します。

 

 

でもその勝ったという一瞬が最高なんです。

 

八景島で撮った集合写真のみんなの笑顔を見てください。

 

戦い抜いた蒲郡での皆のたくましい表情を見てください。

 

強風に負けずにハイクアウトする同期の真摯な姿に、自分も頑張ろうと思ってくれる、そんなマネージャーのみんなには感謝しても感謝しきれません。

 

本当にみんないつもありがとう。

 

 

最後に

 

卒業ブログを書いてる同期がもうみんな書いてますが、みんなは一人じゃありません。

 

いろんな方が自分たちの活動を理解して、応援してくださっているからこそ、自分たちはヨットできているのです。

 

何も特別なことはなくて、そういう方々は「ありがとう」という一言にパワーをもらってるのです。

 

誇り高い九州大学ヨット部員を自負するなら、挨拶はきっちり丁寧に大きな声でしましょう。

 

(航輝さんも「親しき仲にも礼儀ありやぞ」って言ってました)

 

みんな大きな声で「おっす!」、そして体操は人一倍声を出して九大ここにあり、と元気にこれからもやっていってください!

 

 

 

 

してい!