お世話になっております。
元470クルーの岩井です。
引退して1週間が経ちました。この1週間は整備もせず、平日練習にも出ず、朝早くからヨットハーバーにも集合せず、バースダッシュもせず、押忍という挨拶もせず、ミーティングもせず、していとも言わず、着たら肌荒れが激しいウェットスーツも着ず、470にも乗らずに過ごしました。そうして過ごしてきた僕の心境は空虚そのものでした。今まで死ぬほどヨットヨットしてきたから引退したらしばらくはいいかなーなんて思っていましたが、セーリングがやはり恋しい。どうやらセーリングと離れられないようです。セーリングが、したいです。もしよろしければ、お誘いください、よろしくお願いします。
引退ブログということで、僕が4年間何を思い何を感じていたか、そんなブログにしようと思います。ここから長くなりますが、どうぞお付き合いください。
まずは1年生の時です。バスケサークルに入ろうとしていた僕は、いきなり声のでかい謎のウィンドブレイカーを着た先輩に声をかけられました。H29年卒冨田先輩でした。ヨットに乗れるのか、それはきっと楽しい思い出になるだろうと思い、はじめは入るなんて微塵もなかったのを覚えています。そしたらどうでしょう、H28年卒橋元先輩や森先輩、H30年卒加﨑先輩が一緒に日本一にならないか、ヨットに乗ってエキサイティングな学生生活にしないかと僕の心を揺さぶってきたのです。これには困りました。僕が出した結果は、4年の引退するときに何の成果も得ずにただ楽しく過ごして終わるか、本当につらい経験を通して最後に泣いて笑って終わるか、それなら後者を選ぼう、かけがえのない仲間を得て、最高の思い出を作って学生生活を終えようということで、ヨット部に入ることを決意しました。さらに、ヨット部だし、今までバスケで死ぬほど走ってきたから嫌いなランニングをもうしなくていいから最高じゃないか!!ということでヨット部を選んだこともありました。
そしたらどうですか現4年生の皆さん、あの日々を思い返してみてください。筋トレ陸ヨットランニング筋トレ陸ヨットランニングの永遠ループでございます。あ、やっぱりやめとけばよかったと思ってたのは今だから言えますが、当時の幹部の皆様の圧力によりできないなんてとても言えず、固く決意して入った部活だったのでそう簡単にはやめられませんでした。一番思い出のあるフルコースは、愛宕神社3周→ソフトバンク球場までいってハーバーまでラン→上級生が出艇している間は陸トレーニング→上級生が着岸してきたと思ったら中村健一氏直伝サーキットトレーニング9ループです。地獄まっしぐらでした。
2年生になって初めてのペアはH29年卒月原先輩とみなみとの3人ペアでした。このときはとにかく同期クルーたちに負けたくなくて、何もわからずひたすらにジブを引いていました。部内戦からはH30年卒札内先輩とペアになりました。ただひたすらに負けたくないと思い続け、しかし負けまくって、当時は何が悪いのか何が足りていないかなんて考えたこともなく気が付けば長尾はレギュラーとなり、橋口は4番艇まで上り詰め、自分は7番艇くらいでもがきつづけていました。札内先輩と乗ったこの期間はとにかく苦しくて、クルーにならないかという誘いも断って上を目指してスキッパーになった札内先輩に申し訳なく思う日々でした。同期の堀と来年絶対見返してやろうぜと小戸の夕日を見ながら何度も誓ったことを思い出します。
衞藤と出た全日本470は今考えると何もわかっていない状態であの大会に出るのは無謀でした。何かと順位が悪いと動作が荒くなったり黙ってしまう僕だったので衞藤には大変迷惑をかけました。ごめん。
3年生になって初めのペアは同期の愛梨でした。2年から1番艇スキッパーをやってる愛梨と乗るということで僕の実力では全く要望についていけず、2年生の間いったい何の練習をしていたんだと思いました。部内戦では愛梨の腰の容態が悪く、当時2年生だった福本と挑むことになりました。福本といえば先輩クルーを海につけては全くメインを引かないことで有名でした。部内戦ではとにかくメインを引くことを叫び続け、なんと10艇のレースの中で4位になり、福本とハイタッチしたのを今でも覚えています。思い出のレースの一つです。
それから九州インカレ個人戦まではH30年卒の菜々恵先輩と組み、二人でどうやったら速く走らせられるか日々ミーティングを重ねながら(たまに僕から後輩らしからぬことを言ってしまうことがありました、すみません。)、ヨットに乗りました。九イン個選では1位でフィニッシュできそうだったのに風がなくなりノーレースになった等思い出に残るレースばかりで、全日本個選まであと一歩というところで負けてしまったのでとても悔しかったのを覚えています。
九イン個選後からは同期の愛梨と再度組むことになりました。乗り始めから全日本470まで全く歯車が合わず、宿舎でお互いどう思っているかを言い合ったことをきっかけにそこから成績がついてくるようになりました。プレ国体で3位を取ったり、九州インカレ団体戦では個人成績3位になったり、全日本インカレでは最終レースで10位を取ったり、今まで味わったことのないような経験が愛梨とともにありました。ペーペーな僕がレギュラーとしてインカレに出場できたのは愛梨のおかげでした。全日本の最終レースが終わった後に後続艇を見るとそれはもう最高の気分でした。ハーバーバックの時に来年は別々のチームになると思うけどがんばろうと言い合ったのを覚えています。
4年生になりました。初めに組んだのは永野でした。他の艇は下級生育成のためにばらばらにペアを組んでいましたが、僕たちの艇はターゲット艇となり練習しました。セーリングをすればすぐに前に出て、回航をすればすぐに前に出て、このままでは永野のためにならないなと思いペアを変えることにしました。部内戦後からは今西と組みました。今西はとにかく練習していると元気がなくなり、何も言わなくなってしまっていました。元気を出そう!という練習目標にしたとき、今西が「元気って大事ですね!」と言いました。当たり前や、今西。今西と出た新人戦では、とにかく元気とスピードを言い続けなんとかシングルで大会を終えることができ、戦力としては申し分なかったのですが、レギュラー3艇がひどく崩してしまい大波乱の大会となりました。このとき、永野とペアを変えるべきではなかったのだろうか、その答えは出せませんでした。
新人戦後から西日本インカレまでは永野と再度組むことになりました。永野はやはり上手で、部内レースで何度も1位や2位を取っていたので準備は万端な状態で西日本インカレを迎えました。西日本インカレの第1レース、1上を1位回航したときは叫びそうになりました、が、その後の展開でどんどん順位を落として結果は18位。第2レースもシングルで回航していたのに途中でぱたりと風がなくなり、船が全く進まなくなりまさかの大暴落。着岸後の僕の顔を見た方は覚えていると思いますが、今までしたことがないような最悪の顔をしていました。翌週に九州470があったのでそこで挽回しようとはしたのですが、なかなかうまくいかずに12位で大会を終えました。あ、もう今シーズン終わったかも、とシーズン中盤ながら絶望していました。このとき、新人戦の手前でペアを変えるべきではなかったのだろうか、それとも今西と乗り続けたほうがよかったのだろうか、様々なことを考えていました。永野を走らせてやれなかったことに申し訳なさを感じるとともに、自分の実力のなさを痛感しました。
西日本インカレ後からはまさかの愛梨と再再度組むことになりました。このことに関して堀が納得がいかないとミーティングを開催しました。そりゃそうです、結果が出せなかった僕が愛梨と組むのはどう考えてもおかしい。それでは不公平だと。僕は4年のみんなに何も言えませんでした。永野と組んで結果が出なかったんだからそれは僕の実力がないことを明らかに示しています。結果主義からするとどうしても言えることが何もなかったです。この時期は何をやっても元気がわきませんでした。
そして迎えた九州インカレ個人戦ですが、もう後がないと思い4年間すべてをぶつけるつもりで挑みました。すると5位になり、念願の全日本インカレ個選への切符を手にしました。最高でした。昨年菜々恵先輩と果たすことができなかった目標を果たすことができ、恩返しをしたような気分でした。
全日本インカレ個選では個人成績12位で、全国の強豪がいる中で何度もシングルを取ったこのレガッタはとてもいい経験になりました。九州インカレ団体戦では個人成績6位で、出艇直後に謎の沈をし、メンタルがブレブレになったのはいい思い出です。
全日本インカレではご存じのとおり470級6位、総合5位という結果で終わりました。第1レースにいきなり上マーク2位で回航したり、前通っていいよと言われたのに前を通してくれなかった宮田堀だったり、ずっとがんばってきた衞藤長尾がレスキュー艇で自分が出たいにもかかわらずフィニッシュ後に励ましてくれたり、やっと復活した永野近藤が安定して大きくは崩さなかったり、レギュラー取れなくて悔しいにもかかわらずサポートに徹してくれた470チームのみんなだったり、朝起きると布団にはもういなくて応援の場所取りに行ってくれたサポートだったり、様々な場面がありました。着岸後、僕は4年間を思い泣くのかなと思いましたが、泣かずにずっと笑顔だったと思います。きっと今まで通りというコンセプトでやってきて、実力をすべて出せたから自分には負けなかったことに関して嬉しかったんだと思います。しかし優勝した時の嬉し涙を流したかったなと後悔の念があります。入部の時に引退するときは笑って終わりたいという目標は一応達成しました。
4年間を事細かく書くとさらに長くなるのでここで回想は終わろうと思います。最後まで読んでいただきありがとうございました。
山あり谷ありのヨット部生活でしたが、最後まで続けることができて、セーリングをここまで好きでいることができて本当によかったです。インカレで見た景色を、これからは後輩に見せてあげたいです。
神風コーチ、牧野先輩、河原田先輩、菜々恵先輩、札内先輩、九州大学ヨット部OBOGの皆様、福岡県セーリング連盟の皆様、選手スタッフの保護者の皆様、その他僕のセーリングライフにかかわってくださったすべての方々、この場を借りて厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。
同期のみんな、ここまで一緒にがんばってくれてありがとう。同期がみんなでよかったという話はよくしますが、本当にその通りだね。特に2年間ペアを組んでくれた愛梨には感謝してもしきれません。いい景色をたくさん見させていただきました。愛梨は僕しか一緒に乗れる人はいないといっていましたが、そんなことはありません。僕は実力はないし、他のレギュラークルーよりもできないことのほうが多かったにもかかわらず拾ってくれたのは愛梨のほうです。本当にいい思いをさせてもらいました。
また、長尾、堀、古賀にも感謝しなければいけません。同期にクルーが4人もいて、お互いに意識しながらレギュラー争いをしてきたからこそここまでこれました。僕以上の負けず嫌いで、目の敵にしていたのは感じていたよ、堀。逆に目の敵にしていました、長尾。ヘルニアに苦しみながらも4年目はがんばったね、古賀。みんながみんなじゃなければ僕はインカレで戦えるほどのクルーにはならなかったと思う。本当にありがとう。
最後に後輩へ。
聞き飽きたかもしれないけど本当に大事なことで、引退挨拶の時も言ったけど、大学ヨットライフはマラソンです。今この瞬間からインカレに向けてするべき最善の行動をとろう。ランニング、筋トレさぼってないか?バランスのいい食事を3食取っているか?睡眠時間はしっかりとれているか?インカレにつながる行動か?妥協してしまいそうなときはインカレを思い返すのがいいかもしれない。
今苦しい思いをしている人は、インカレを思い浮かべよう、最後総合優勝して引退する姿を思い浮かべよう。きっと、自分を奮い立たせて前を向いて頑張れる。
来年は大学院に行くので練習や大会運営や応援等でまた会うことがあると思いますが、そのときはいい顔で会えるのを楽しみにしています。いい顔をしてる選手は速いです。
それでは失礼します。
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