高校時代から今へ

こんにちは。

 

野球歴12年、ヨット歴は3年になります副将の西島孝です。

 

先日、選抜高校野球の出場校32校が発表されました。

 

憧れで遠い場所だった甲子園が、いつのまにか、僕よりも4つも5つも年下の球児達が活躍する場になった今、時間の流れの早さを感じます。

 

出場が決まった学校の中には、3月の大会に向けて、雪中練習している高校もあると思います。また、部員が少ない中で工夫している高校、文武両道の高校など様々だと思います。

 

それぞれの環境で全力で練習し、同じグラウンドで白球を追いかけ、正々堂々と日本一を目指して戦う。

 

高校生のそういう姿を想像すると、暖かい部屋での期末試験の勉強を頑張ろう。と思います。

 

 

 

前置きはこれくらいにして、

 

今回は自分の高校時代を振り返って、今に繋げようと思います。

 

 

僕にも、甲子園を目指していた高校球児の時代がありました。

 

公立高校なのですが、同期が選手27人と競争にとても恵まれた代でした。

 

1年生の頃から、1人も辞めずに27人で3年間戦い抜きました。

 

その過程でいろいろな事がありました。

 

高校野球のベンチ入りは基本的に20人ですので、1年生大会の時から、ベンチ入り争いがあったり、練習試合でも、試合に出ないまま遠征先から帰ってきたりと、厳しい世界だったと思います。

 

こんな環境だったため、試合に出るためには、自分の武器が必要だと思い、必死に武器を考え、練習する日々が懐かしく感じます。

 

自分は、

   スイッチヒッターになる。

これが、レギュラーになれる道だと決心し、

 

 

高校から、左打ちの練習をして、スイッチヒッターとして、試合に出られるようになりました。

 

今思うと、部員が多くて、

 

      自分の武器を考え、

           それを磨いていくこと。

 

を高校の時に経験できたことが、

今、九大ヨット部で活動する上で、

とても生きているなと思います。

 

そして、高校時代には大きな失敗体験もありました。

 

それは、

部員が多いため、他人任せな行動を取っていたこと。

 

 

自分でなくても、誰かがするだろう。

 

 

という考えが、無意識のうちに生まれていたんだと思います。

 

 

同期27人に恵まれ、競争が激しいため、強い代になるぞ!と周りに期待されていたのですが、リーダーシップを発揮しないといけない自分が、3年になってもリーダーシップを発揮せずに他人任せな行動を取ってしまった事がありました。

 

同じ失敗を繰り返したくない。

 

大学では、他人任せな自分を変えたいと思いました。

 

 

 

 

 

高校の頃の自分が教えてくれた人数の多い環境で大切な2つのこと。

 

・自分の武器を考え、磨いていくこと。

・誰かがするだろうは、自分がまず動く。

 

 

高校時代の経験が確実に今に繋がっていて、

これらが正解ではなく、これからもチャレンジし、省みて、次へ生かす。

 

長くなりましたが、高校時代の経験を今に繋げるべくブログに書きました。

 

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!!

 

 

写真は、高校時代の僕とは全く関係ないですが、福岡市西区の今津にあるカフェの海凛房さん前から撮った夕陽です。

 

とても、心癒されます!