前マネージャーリーダー兼人事部長の岩原桃子です。
先週末から新しい代が始動し、改めてもう現役として活動できない寂しさを感じています。
西宮での引退挨拶は手短に済ませてしまったので、この場では長めに4年間を振り返りたいと思います。
ヨット部の活動において、2度私にとっての転機がありました。
1度目は、2個上の先輩方の代交代です。
それまで勝ちにこだわる姿勢、組織や上下関係など、所謂「ガチな部活」とは無縁だった私にとって、最初の1年間はまだ実感がわかず、初めての接するヨット競技や偉大で遠い先輩に外側から感心するばかりでした。
そんな私が本当の意味でヨット部員として自覚が芽生えたのが、初めて代交代を経験した新2年生の冬です。実際に一つの大きな組織が新たに出来上がっていく様子を見て、九大ヨット部は1つの目標のために、どれほど多くのパワーが集まっているかを実感しました。九大を日本一にするために私は何ができるだろうと真剣に考え始めたのもこの頃からです。
2度目はマネージャーリーダーを務めることになったときです。私たちの代は、他の同期マネの学科の都合上、ほぼ消去法的に私に決まったという経緯があります。私はリーダーなんて器ではないので、すごく不安だったし他の部員からの評価も怖かったし、なにより同期マネ2人に対して、前向きにマネリーダーという役割を受け入れられない自分が申し訳なかったです。
最初は弱音や自信のなさを隠すのに必死で、どうあるべきかなんて考える余裕はありませんでしたが、次第に私なりのマネージャーリーダー像がイメージできるようになりました。
マネリーダーは、九大ヨット部マネはもちろん、大会時は選手も含めたサポートメンバーをまとめなければなりません。自分に実力が伴っていなくても、レース成績が心配でも、その不安を呑み込んで力強い言葉でサポートメンバーを率いる。それがマネージャーリーダーの一番の役割だというのが私なりの答えです。その理想像にどれだけ近づけたかはわかりませんが、引退後に先輩や後輩マネから労いの言葉をもらい、1年間マネージャーリーダーをやらせてもらえてよかったと感じました。
最後に一つ。
西宮インカレの最終日、敗北を喫した時、一つ強く感じたことがありました。
ヨット部で日本一を目指すということ、勝ちに拘るということの意味です。それはたった一つの優勝校以外は、自分たちの4年間は何だったのか明確な答えが出ないまま終わってしまう。それを十分理解した者だけが「日本一」という目標を掲げられるのだと思いました。つまり、己の全てをかけるのなら、「最後まで精一杯頑張ったんだから」なんて言い訳は1ミリも自分の心に通用しないということです。
これから先、仲間たちと過ごした輝かしい時間を思い返すたびに、あの日味わった敗北と途方もない悔しさを思い出すでしょう。
良い思い出にするつもりなんてありません。同期が走った時の興奮も、ぶつかり合うもどかしさも、チームが勝つ喜びも、負けたときの悔しさも、ヨット部で経験した全てのことをそのままの形で胸に秘めていこうと思います。
最後に、九州大学ヨット部に関わる全ての皆様に感謝を伝えたいです。
私がこうして4年間部活をやり抜くことができたのは、多大なるご支援を頂いた帆友会の先輩方、ついてきてくれた後輩たち、遠くから応援してくれた家族、ハーバー関係者やセーリング連盟の皆様など、大勢の人たちに支えられてきたからです。散々ご迷惑もおかけしましたが、最後まで応援していただきありがとうございました。
そして、4年間苦楽を共にした同期たち。何度4年前に戻っても、みんなとヨット部に入ると思います。
あの舞台に連れて行ってくれてありがとう。
コメントをお書きください