時間を奪うこと

こんにちは。

4年マネージャーの末永です。

 

長い長い自粛生活によって、数年ぶりに肌色の境目が無くなりました笑

去年の今頃は夏本番を前にしてすでに真っ黒で、高校の友達には「暗闇と同化する笑」といじられてました、、、。

過ぎてみれば「もう7月か。」という気もしますが、ふと自分の腕を見るとやはり経過した時間の長さを感じます。女子大生としては嬉しい限りですが、ヨット部員としてはなんとも切ない気持ちです。

 

経過した時間、約3か月。

みなさんは何に時間を使いましたか?

何に時間を奪われましたか?

そして誰の時間を奪いましたか?

 

”時間を奪う”という言葉の意味を考えるようになったのは、つい最近です。

だらだらする時間や、特に目的はないけれどみんなと同じ時間を過ごすことを好んできた私は、そもそも自分の時間を奪われているという感覚はなく、人の時間を奪っているという意識も欠けていたと思います。

 

そんな私が時間を意識するようになったのは、YouTubeでみたキングコング西野亮廣さんのスピーチ動画がきっかけです。

 

話を聞いて思うことは人それぞれ違うと思うので、詳しい内容については省略します。

(近畿大学卒業式のスピーチ動画です。他の有名人のスピーチ動画もあるのでぜひ見てください。どの動画もおすすめです。)

 

キングコングの2人が出ていた『はねるのトびら』というテレビ番組は、小学生のときにみんなハマって観てたんじゃないかなと思います。少なくとも私はその前にあった『クイズ!ヘキサゴン』から毎週欠かさずに観てました笑

 

ここ何年かの間に、西野さんが絵本を書いてビジネスの世界で評価されているのは知っていましたが、『はねとび』のイメージが強かった私は芸人と今の姿のギャップが大きすぎて、西野さんがどんな人なのか純粋に興味が湧きました。

 

そうしていろんな動画を見漁って出会ったのが"時間を奪う"という考えです。

(見過ぎてどの動画かは忘れました笑)

"時間を奪ってるんだから、相応の対価を差し出さなくてはいけない"という話で、私も最初は「"奪う"って、そんな言い方しなくても、、、」と思っていました。

 

でもよく考えたら確かにそうだなと思うことがたくさんありました。

 

身近な例だとアルバイトです。

時間あたりの給料が決まっていて、働いた時間に対応した対価が得られます。

 

このように対価が目に見えるものだとわかりやすくていいのですが、問題はそうでない場合です。

 

例えば、誰かに話を聞いてもらうとき。

このとき相談される人は、自分のために話を聞く時間を確保してくれます。

「そんなの友達なら、人として当たり前でしょ」と思う人もいると思います。私もそうでした。

 

でも"時間を奪う"という話を聞いた後、これを当たり前のこととするのは違うのではないかと思いました。

 

話を聞いてもらったんだから何か奢りましょうという訳ではなくて、

大事なことはどんなに仲が良くて近い距離であろうと、その人が自分だけのために時間を作ってくれているという意識を忘れないということだと思います。

 

話を聞いてほしいとご飯を食べに行った2時間で出来ることは山ほどあります。その作業をするはずだった相手の2時間を奪って、自分は話を聞いてもらっているという感覚をつけることで、その2時間を良い時間にしなければならないという意識や、今度は自分が相手のために何か返そうという気持ちが生まれると思います。

 

人に対してだけではなく、自分に対してもです。

ゲームをするにしても、本を読むにしても、時間がかかります。

自分の時間が奪われることで、得られるものが自分にとってどれほどの価値があるのかということを意識すれば、瞬間的な楽しさを得るための自分にとっての最適な時間配分がわかり、貴重な1日をゲームに捧げたにも関わらず自己嫌悪に落ちてしまうような悲しいことは起きなくなるかもしれません。

 

この世の基本原則は等価交換だと(鋼の錬金術師で)言われていますが、時間も等価交換です。

 

時間が誰かの時間、もしくは自分自身の時間を奪っている意識を持たずに、時間を無闇に奪うのは大罪であること。

自分のために時間を奪われてくれることに感謝すること。

等価交換として相手に何か返そうとすること。

 

今までこのことを意識できていなかった人がもしいれば、これを心の隅に置いといてもらえたら嬉しいです。

 

長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

失礼いたします。

 

 

写真は実家で漬けている梅酢の写真です。

長い時間漬け込んだ先にある美味しさに期待です。笑