お世話になっております。
前スナイプリーダーの入江透です。
何回書いたかもわからないブログもついに最後となりました。
半ば脅迫じみた勧誘を受けて何が何だかわからない状態で入部した僕も最上級生を経て引退のときを迎えました。
3年半所属していたヨット部を引退するとやはり感慨深いものがあります。
この3年半、本当に多くの方のご協力やご支援に支えていただきました。
帆友会の先輩方、福岡市ヨットハーバーの職員の皆様、県連の方々、大学関係者の方々、後輩、同期、両親、応援してくださった全ての方々。
本当に恵まれた環境の中で何の不自由もなく満足のいく活動をすることができました。
本当にお世話になりました。
ありがとうございました。
何を書くかはまだまとまっていませんが、ひとまず今の気持ちや3年半の振り返りについて書いていこうかと思います。
もしかしたら暗い内容になってしまうかもしれませんが、ありのままを綴ろうと思うので一読いただけたら幸いです。
インカレが終わって1週間以上経ちましたが、正直少しも晴れやかな気持ちではありません。
皆さんご存知かと思いますが、結果は
470級 10位
スナイプ 14位
総合 9位
と考えてもいなかったようなものとなりました。
インカレ最終日の感情の推移はとても良く覚えています。
どんなことがあっても平常心でレースに挑もうと思い、実行できていたため最終レースが終わった瞬間は無感情でした。
しかし、いざ陸に帰って片付けをしていると少しずつ実感が湧いてきて虚無感や絶望感が押し寄せてきました。
悔しいという表現ともまた違うような、なんとも言えない不思議な感情です。
「何がいけなかったんだろう」と考えたり、「3年半やってきたことは無意味だったんだな」と感じたり、「応援してくださっていた先輩方に合わせる顔がない」と思ったり...
何をどう考えても、自分たちにはリベンジする機会が残されていないという悪夢のような事実に絶望しました。
ただただ頭を抱えることしかできませんでした。
昨年のインカレでも、メダルを取れなかった悔しさや出場できずやるせない思いを抱きましたが、もう一度チャンスがあったためここまでの絶望感を抱くことはありませんでした。
人生で経験もしたことのないような感情でした。後輩たちには本当にこのような思いをして欲しくありません。
インカレから1週間以上経って、遊んでいる時でも美味しいものを食べている時でもお酒を飲んで酔っ払っている時でも、ふとした瞬間にインカレの光景を思い出して、苦しい気持ちになります。
和歌山には一生行きたくないし、ヨットも続けたいとはとても思えていないです。
今後もこの気持ちはそうそう消えることなく付き纏うのだろうなと思っています。
努力が報われなかった、結果に表れなかったとは良く聞きますが、果たして本当にそうなのでしょうか。
何度インカレをやればスナイプチームはメダルを取ることができたのでしょうか、何度インカレをやれば九大ヨット部は総合優勝することができたのでしょうか。
誰も考えたくはないと思いますが、目を背けてはいけないことだと思います。
優勝した早稲田大学なんかは、10回インカレをやって5回勝てるところを6回7回と勝率を上げるような活動を1年間していくのでしょう。
九大ヨット部は何回インカレをすれば日本一になれたのでしょうか。
10回でしょうか、50回でしょうか、100回でしょうか。いずれにせよインカレを実際やってみて、高い確率とはとても言えませんでした。
そう考えると、とても「結果に表れなかった」とは言えません。実力不足と言わざるを得ません。
また、勝てた1回をインカレに持っていくことができなかったところも実力不足だと思います。
今回の成績が、自分たちが取り得る最低の成績だとしたらピーキングに関して圧倒的な実力不足でした。
このようなことを考えると虚しくなるし気分が落ち込みますが、これが現実でした。
このような話をインカレ直後同期としていたら、石原が「0を1には変えれたんじゃないか」と言いました。
この言葉にとても救われました。
来年は、確率をできる限りあげて、かつインカレでピークが来るように調整してもらえたらと思います。
ここからは3年半を振り返ろうと思います。 余りにも暗くなってしまったので明るくポップにいけたらと思います。笑
まずは1年生。
訳もわからず入部した僕を待ち受けていたのはゴリゴリの体育会でした。時間には厳しいしテキパキ動いていないといけないし声を出さないといけないし...
やる気がある状態で入部したわけではありませんでしたが、すぐにこの雰囲気に呑まれて洗脳されていきました。気付けば嬉々として声出しやバースダッシュをしていました。
すぐにヨット部に染まれたのは、今考えるとそれだけヨット部に魅力があり、一年生とぺーぺーながらも九大ヨット部の一員であることを誇りに感じていたからだと思います。
たぶんまあまあしんどいこともあったとは思いますが、誇りを胸に乗り越えることができました。
次に2年生。
ヨットに乗り始めて色々な経験をしました。レースで勝ったときの嬉しさも全然太刀打ちできないときの悔しさも経験しました。
とても生意気な2年生で、先輩方に迷惑をかけながらノビノビとヨットをやらせていただいていました。
このときからスナイプチームが本当に大好きで、メダルを獲得したいと強く思うようになりました。
3年生。
代交代後すぐは、初めて後輩である酒井とペアを組んで、自分の未熟さや成長の難しさを知りました。
ペアが変わって一つ先輩の都田さんと乗ることになり、本格的にインカレを目指しました。
自分の未熟さがゆえに本当に迷惑をかけ続けました。どんなときでも僕を引っ張ってくださいました。
なかなか勝てませんでしたが、この期間は本当に財産となりました。
またしても取れなかったメダルを獲得して先輩方にかけにいこうと決意しました。
そして4年生。
コロナ渦での活動とはなりましたが、スナイプリーダーを務め、自分なりに色々考えて活動しました。
活動自粛期間が続き、インカレ開催への不安や、このまま何も成し得ることなく引退なのではないかという焦りを強く感じる時期がありました。
ですが、気分が落ち込んでいるときには決まって先輩方が救いの手を差し伸べてくださいました。
その救いの手のおかげで何とかギリギリのところで持ち堪えることができました。
活動再開してレースシーズンになってからも色々な経験をしました。
インカレ後の感情はさきほど綴ったので省略します。
1年間スナイプリーダーをやって、情けないこともあったし大変なこともありました。ですが本当に良い経験をさせてもらえたと思っています。
スナイプチームのことが本当に大好きで、みんなでメダルを獲って喜びたかったですが、それが達成できず心底残念です。
とてもリーダーらしい性格ではなかったし、迷惑をかけたり、嫌な思いをさせることもあったと思いますが、みんなついて来てくれて本当にありがとう。
僕は来年のスナイプチームも既に好きだし、応援しています。足立を中心に頑張ってね。メダルを獲れたら真っ先に僕のところにかけにきてください。
いま、僕のインカレテーマソングであったGreeeenの「遥か」を聞きながらブログを書いているのですが、感情が昂りすぎて自分でも何を書いてるかもわかりません。
ご了承ください。笑
いくらでも書くことが溢れてきますがとても長くなってしまったので、もうそろそろ締めようかと思います。
こうして3年半を振り返っていると、本当に色々な経験をさせてもらったし色々な思い出が出来ました。
数え切れないほどの学びや成長がありました。
九州大学ヨット部には本当に感謝でいっぱいです。
入部して一ヶ月足らずで部員であることを誇りに思うことができた、そんな九州大学ヨット部は"人"で出来ています。
九州大学ヨット部に携わってくださっている全ての皆様、本当にありがとうございました。
最高の出会いと経験ができてとても楽しかったです。
今後はOBとして九州大学ヨット部に携わって、恩返ししていければと思います。
本当に4年間お世話になりました。
ありがとうございました。
九大スナイプに栄光あれ!
九大ヨット部に栄光あれ!!!
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