お久しぶりです。高橋英悟です。
引退してから2週間が経とうとしています。
現役時代は考えられなかった堕落した生活を送り続けているため、すぐに引退した実感は湧きました。
前置きは短めに、自分の4年間を振り返ろうと思います。
少し長くなるかもしれませんが、お付き合いください。
1年生
キャンパスで友達が勧誘を受けていると思ったら気づけば僕が熱心に話を聞いていました。
ヨット部のイチ押しポイントとニ押しポイントである熱さと強さにとても惹かれました。
この後なかなか入部を決めない僕を自腹を切ってまで勧誘してくださった先輩には非常に感謝しています。
こうして期待に胸を膨らませてヨット部に入部しました。
最初のうちはとにかく先輩方に名前を覚えてもらうことに必死でした。ひたすら「エイゴです」の5文字を繰り返していたのが懐かしいです。
必死に陸トレと小戸ランを繰り返すと1年生は終わりました。
インカレでの4年生がとってもかっこよかったのは今でも覚えています。
2年生
やっと470に乗りはじめました。ところが全然うまくいきません。
今考えれば当たり前ですが、難しいしなにもできないしヨットが全然楽しくありませんでした。
同期がどんどん減っていく中で、本当は自分も辞めたくて仕方がありませんでした。
ただ、ある先輩に「あの勢いで入部してきた英悟がやめたら面白いよな」と、ぽろっと言われたのが気になり、そうはなりたくないという思いで続けてきました。
どう考えてもおかしな理由ですが、相当な意地っ張りだったということです。今もか。
しかし、春を経ても大した結果は出ず、活躍し始める同期に劣等感を感じずにはいられませんでした。
そんな時に転がってきた話がスナイプ転向でした。
将来の自分たちの代のために役に立つならといえば聞こえはいいですが、自分にとってはこの目を背けたい状況から脱却するチャンスくらいにしか思っていなかったと思います。
結局なんでコンバートしないことになったんだっけか。そこはあまり覚えていません。
この後、470に乗ると決めた僕はある先輩とペアになりました。
夏休みはその先輩の勢いに任されて必死にヨットに乗りました。
きつすぎて少し江ノ島へ逃亡したりもしましたが、初めて少しヨットが楽しいと思えました。ありがとうございました。
そうこうして僕の2年生は終わりました。
3年生
"最後の年だと思って練習する"ということをテーマに決めたこの年でしたが、早々に出鼻を挫かれることになりました。
新人戦ではあり得ないミスを連発し、西インでは練習の成果を全く発揮できませんでした。
この時期に乗っていただいた先輩方には大変申し訳ない気持ちでいっぱいです。本当にすみません。ありがとうございました。
春先に狂った歯車は元に戻ることはありませんでした。楽しそうにヨットに乗る同期が本当に羨ましく、結果が出ないことにとても焦っていました。
そんな時に決まったのが副将です。
立候補することも憚られましたが、ある同期に背中を押されました。
最終的に自分に副将を任せてくれた同期のみんなには感謝しています。
夏からは初めて後輩と乗りました。
どんなに結果が出なくてももう後には引けなかったので、どうしたら次の年につながる練習ができるのか必死に考えました。
今思うとこの期間の練習は結構意味のあるものだった気がします。
大したことは教えてあげられなかったけれど一緒に乗ってくれてありがとう。矢吹、上アップは気合だよ!
4年生
どん底からのスタートでした。実力がない上に副将になってしまった自分は不安でいっぱいでした。
そこでとにかくいろんな先輩に話を聞きまくりました。
それまでもお世話になっていた先輩から2人きりでは話した覚えがない先輩、代すら被っていない先輩までヨット部の先輩方は嫌な顔一つせずすぐに予定を空けて親身に話をしてくださいました。
本当に頼れる尊敬できる先輩方がたくさんいらっしゃることを身をもって実感しました。
当時たくさんのアドバイスをくださった先輩方、本当にありがとうございました。
いざ始まった冬練習は初心者の女の子とのペアでした。
最初は本当にどうなることかと思いましたが、下級生の頃にヨットは知識ゲーだと思って蓄えていたものがやっと実を結びました。
そしてヨットが少しずつ楽しくなりました。それは半分は実力がついたからだけど、もう半分は彩香のおかげでした。
いっつも楽しそうでいつ見ても笑顔な人っているんだって思いました。バカにしているわけではなくて(笑)
たくさんきついことも言ったと思うけど笑顔で一緒に乗ってくれてありがとう。すごく楽しかったです。
このあと長い自粛期間に入ることになります。
練習再開後は、同期クルー神川と3度目のペアになりました。
毎年組んでいるとお互いの成長がわかります。酒の弱さと涙脆さは未だに健在ですが...。
悔しい時期や結果の出なかったレースもありましたが、なんとか2人でインカレを迎えることができました。
最後まで自己中でわがままで文句の多いスキッパーだったけど愚痴も言わずに乗ってくれてありがとう。これからも仲良くしてね。
迎えたインカレは惨敗でした。
みんなの言うように、終わった時は果たしてこれが悔しいという感情なのかもわからない空っぽの状態でした。
でも、これが自分の実力だったということです。
自分はできるだけのことをやってきたと思うし、もし過去に戻れても同じことをすると思います。だから後輩にはこの結果を見た上でこれからなにをすべきなのか考えて欲しいと思います。
暗い内容ばかりでしたが、僕がこの4年間で少しだけ誇れることがあります。
それは全部全力でやってきたことです。
昔から完璧主義だった自分はなにかを諦めるのが嫌いでした。
この大学生活もそうで、ヨットだけというのは嫌だったからそこそこにバイトをして、それなりに勉強もしてきました。
特に今年は就活が終わったと思えば、院試があって、今度はまた違う受験があったりと自分でも今なにをしてるのかわからなくなりそうでした。
それがダメだったと言われればそれまでですが、ここに後悔はありません。まだ終わっていませんが、全部全力でやり切れたことには満足しています。
その都度好き勝手やらせてくれて、応援してくれたペアや後輩、同期のみんなには本当に感謝しています。
4年間を振り返って
ヨット部の記憶のほとんどは苦しいことや悔しいことです。
自分の人生の中で考えて、初めての挫折と言っても過言ではないし、圧倒的にしんどい4年間でした。
こんなにお金も時間もかけて、自分としては頑張っているのになんでこんなに報われないんだろうと何回も思いました。
けど、それは裏を返せば、これだけ頑張らなければこんなにも苦しい思いや悔しい思いをすることはなかったということです。
ちょっとわかりにくいですが、一生懸命頑張ってきたからたとえ悔しかったとしても、自分にとっては貴重でかけがえのない経験になったと思っています。
ヨット部に入らなければこんな思いを経験することはできなかったのだから、今はヨット部に入ったことをこれっぽっちも後悔していません。
さっきは意地でヨット部を続けてきたと言いましたが、僕がヨット部をやめられなかった理由は人だと思います。
なんでもない話を永遠にできて、ヨットのことになると本気になって、飲み会では感極まって涙を流す、そんなヨット部が大好きでした。
先輩方が引退されるたびに寂しかったし、新歓は毎年楽しみで仕方がなかったです。今でもヨットはいいから部活に行ってみんなとわいわいしゃべりたいと思う時があります。
こんな環境で4年間を過ごせた自分は本当に幸せだと思います。
最後になりますが、山口顧問をはじめとする学校の関係者の皆様、セーリング連盟の方々、ハーバー関係者の皆様、帆友会の先輩方、平畑監督、4年間一緒に過ごした同期、後輩、遠くから活動を応援してくれた両親、本当にたくさんの方々の支えがありこのように引退を迎えることができました。
本当にありがとうございました。
全くあっという間ではない、すごく長くて濃い4年間をこのヨット部で過ごすことができて本当に良かったです。
これからは1人のOBとして大好きな後輩たちが目標を達成できることを祈っています。
以上をもって、引退の挨拶とさせていただきます。
4年間本当にありがとうございました。
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