お世話になっております。
元470クルーの矢吹です。
引退からおよそ1ヶ月が経ちました。引退直後は学校から帰りながら、「今日ランニングせんとダメだっけ? あぁもう走らなくていいのか。」とか、日常会話で思わず「押忍、してい」と言いそうになったりとヨット部だった頃の癖が抜けていませんでしたが、段々とそういったことすら無くなってきました。
書きながら少し悲しくなってきたので本題に移ります。
ありがちかもしれませんが4年間を軽く振り替えっていきたいと思います。
1年生。高校時代を部活に費やした反動からか大学で本気で部活する気は全くなく、サークルで過ごす楽しい4年間を思い描いて入学してきました。
でも気づけばゴリゴリの体育会系に入っていました。あれ?なんでこうなったっけ?と入部後にふと考えることはありましたが後悔した記憶はないです。
入部を決めたのは、正直ヨットという競技に強く惹かれたわけではなく、ヨット部が「強い」からでした。
「ここに入れば日本一経験できるかも、してみたいな。」そのくらいの気持ちで入部しました。
はじめてのインカレの総合成績が5位でした。
この人達くらい上手くなれば全国でもここまで戦えるんだ!モチベーションがとても上がったのを覚えています。
2年生。なにか武器がないとと思い、動作を磨きました。上手な人の真似をしながら自分なりのやり方を確立していき、その甲斐あって動作に関しては褒められることが増えました。
ただそれと同時に動作だけでは勝てないことを次第に痛感していった時期でした。
3年生。配艇は何度か変わりましたが夏前から芝さんと組ませていただきました。初めて「勝たないといけない」レースを経験するようになり、日々の練習のシビアさも今までとは違って、個人的には1番成長できた時期だったと思います。
芝さんには沢山いい景色を見させていただきました。特に残り1レースを残して最後1位以外だと予選落ちの状況でトップを取って予選通過した九イン個戦は思い出のレースの1つです。
初めてインカレに出場したのもこの年でした。理想には遠い結果で自分の不甲斐なさを痛感したレガッタでした。最終日のハーバーバック中には涙が止まりませんでした。
4年生。新チーム始動時、上級生が6人と人数的にかつかつでレギュラー争いもないであろう状況に不安を感じでいたのを覚えています。
しかし後輩含めて向上心が高く、人数が少ないことを生かして切磋琢磨しあえる仲の良いチームになったと思います。
ペアの山下は目離したらすぐどっか行くし、すぐメンタルやられるけどヨットに対する向上心は人一倍あるやつでした。
なんだかんだあったけどペアでよかったなと思ってます。笑
小戸でのレガッタは限られていましたが、前を走れるレースも増え少しずつ手応えは感じていました。
そんな中で迎えたインカレ。結果は総合10位。最後2日はノーレースとあまりにあっけない終わりでした。1番艇なのに走れなかったこと、ここまで支えてくれたマネージャーへの申し訳なさや悔しい気持ちが入り混じってましたが、やはり自分達が1年生の時のように下級生達にこれくらい上手くなればここまでやれるぞと見せてやれなかったことが悔しかったです。
特に伝えたいこともまとまらず自己満足に近いただの回想になってしまいましたが読んでいただきありがとうございました。
最後に後輩達に
ヨットを楽しんで欲しいです。
勝った時、成長を感じた時、考えてる時、人によって楽しいと思うタイミングは違うと思いますが、特に下級生は自分なりに楽しみ方を見つけてください。きっと上達の速度も変わるはずです。
以上で引退挨拶とさせていただきます。
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S43卒 都外川(ととがわ)修一 (金曜日, 10 12月 2021 10:29)
拝見しました。
1、4年間の成果をしっかり認識し、忘れないように文書言にして今後に生かして下さい。
2、1を含めて、今代の成果・反省を整理して部マネージメントシステムに織り込み九大ヨット部のレベルを高めて下さい。それが矢吹創の九大ヨット部での足跡と思います。
意見交換、良ければメールください。