平素よりお世話になっております。
前マネージャーリーダー、人事部長の井手沙緒里です。
同期が17人もいるおかげで、この引退ブログも長くなってきておりすみません…(笑)
あと3人なので、どうぞ最後までよろしくお願い致します。
今回も案の定文章をまとめる力が足りず、冗長的になってしまったのでお時間のある方は温かい目でお付き合い頂けますと嬉しいです。
まずは、というよりもこれが全てです。
今までお世話になった全ての方々へ、心の底から感謝を申し上げます。
岡部会長、平畑監督、帆友会の先輩方、山口顧問、県連の皆様、ハーバー関係者の皆様、保護者の方々、今津地域の皆様、何かのご縁で九大ヨット部を応援して下さっている方々、他大学のヨット部の皆、一緒に現役として活動して下さった先輩、同期、後輩の皆。
数えきれないほど沢山のご迷惑やご心配をかけながらも、94代を、こんな自分を最初から最後まで支えて下さり本当にありがとうございました。
月並みの言葉しか持ち合わせておらず、申し訳ありません。でも、本当に皆さんがいなければこんなに充実した、尊い4年間を過ごすことはできませんでした。
一生自慢できる活動をさせて頂き、本当に感謝してもしきれません。
本当にありがとうございました。
以下はほとんど蛇足の自己満足なので、飛ばして頂いても大丈夫です。
自分が嫌い。
4年間を通して、これが私の最大のモチベーションでした。
こんな自分じゃ皆の役に立たない。
皆の役に立たないと価値がない。価値がなければここにいる意味がない。
だから誰よりも動き続けよう。
向上心というよりもはや、飢えや渇きに近い感覚だったと思います。
振り返れば、私がマネージャーというポジションを選んだのも、選手なら結果を出し続けなければいけないのが自分には無理そうだなという、言わば逃げの気持ちがきっかけの一つでもありました。
マネージャーなら、正解がないから何かしら少しは自分に価値を見出せるかもしれない。
そう思って水町で入部宣言をしました。
後に、“正解がない”ことに散々苦しむことにもなるのですが。
4年間を最初から振り返ると終わらないので、自分の転機になった時期や出来事を備忘録がてら残そうと思います。
1年目の6月。
人事部に配属され、なつみさんに声をかけて頂き組織に関してひたすら考え続けるミーティングに参加しました。
この時初めて、とんでもない部活に入ったものだと実感しました(笑)
ただ、この時期から視野を広く持って部活に向き合い始めることができたのは今思うと本当に恵まれていたと思います。
なつみさんと由紀乃さんとああでもない、こうでもないと準備したファミリーデー。
10月ごろ、出艇せずになつみさんと船具室の棚を手作りで作った練習日。
本当になつみさんとの出会いに沢山の刺激を頂きました。
マネージャーとしてあるべき姿が分からなかった私に、分からないからこそ何でもやってみていいんだよ、となつみさん自らが動いて導いて下さいました。
4年間の自分の指針はずっと、なつみさんから頂いた教えに支えられていました。
2年目、全日本個人戦。
これはもう以前も書いたので省略しますが、とにかく身体も心も最大限にエネルギーを使った遠征でした。
この時の自分がこれだけ死ぬ気で頑張れたのに、今頑張れないわけがない、と後々の自分を叩き上げる尺度に何度も何度も使いました。
3年目、コロナ禍のインカレ。
制限がかかり、人数的に同期マネの中で一人だけ現地のサポートとしてついていかせて頂けることになりました。
はたから見たら、大したことではないのかもしれません。
が、当時の自分にはあまりに重すぎた出来事でした。
インカレのために沢山色んな準備をしてきてくれた同期マネや、後輩をあんなに間近で見てきたのに、何でそのたった一つの枠が自分なのか。
申し訳なさと、やるせなさと、何より自分こそがついていくべきと自信を持てない自分がどうしようもなく嫌でした。
私より何十倍も苦しい思いをしていたのにも関わらず、気にかけて下さった当時の4年生、4マネの方々に本当に失礼な態度だったと思います。
「何でお前なんかが」そう周りから思われていると思い込み、部活に行って同期マネや後輩と顔を合わせることが怖くなりました。ついでに声も上手く出せなくなっていきました。
そんな精神状態で迎えた4年目。
マネージャーリーダーをさせて頂くことになり、おこがましいのは十分承知の上でしたが、ただひたすらに去年の借りを返さなければならない。もう2度とマネの皆に嫌な思いをさせないようにしなければならない。
マネージャー皆のためなら、自分はどうなってもいい。
それだけに集中して部活をしていたつもりです。(もちろん勝つことも意識していましたが)
何でもっと上手くできない。何でもっと人を思いやれない。何でもっと皆を守れない。
皆の意見をちゃんと聞けているか。しんどい思いをさせてしまっていないか。こんな奴なんかがマネージャーリーダーでいいのか。
一度抱いてしまった不安や恐怖はなかなか拭い去ることが出来ず、結局最後の最後までべったりまとわりついたままでした。
だから、正直引退して真っ先に思ったことが
ああ、これでやっと解放される
という安堵感でした。
自分が望んでマネージャーをやっていたくせに、勝手に自信を失って勝手に自分は必要とされていないんじゃないかと恐怖に怯えて、勝手に疎外感と戦って。
今思うと、随分きもいなと笑えてきます(笑)
そんなことに使うエネルギーがあるんだったら、まだ他にいくらでも何かできたんじゃないか。
日本一はそんな甘くないぞ、と過去の自分を叱ってやりたい気持ちです(笑)
もし今後おんなじ状況に陥るかもしれない人にひとつアドバイスをするとすれば、ただひたすらに何でもいいので動き続けてみてほしいです。
私は自分の存在価値が揺らいだ時は、いつだって身体より頭ばかりが動いている時でした。
でも
自分を好きになれない自分はすごく嫌だったけど
嫌いだったからこそ、ここまで頑張ってくることが出来たのも事実です。
別に自分に自信を持てないまま終わってもいいと思います。
自分が嫌いなら、好きになれるまでもがいて頑張ったらいいです。
ただ、比べる相手はどんな時も常に自分であって欲しい。
最後まで、自分自身と戦い続けてください。
人と比べない。人を比べない。
でも、必ず周りも見続けて。
皆、苦しんでいたり困っている時にそれを隠すのが本当に本当に上手です。
そんな、本当は助けを求めている誰かの声を、耳を澄ませて聴こうとするチームであってほしい。
私が皆に伝えたいことはそれだけです。
引退して3週間。
福岡に帰ってきてから死ぬほど何にも手が付けられなくて、ため込んでた仕事を放棄して(本当にすみません)、人に会う気にもなれず、何か気を紛らわすために別のことがしたくても、その別のことをやる気力も起きず、最後の遠征でできた親への借金返済のためバイトだけをパンパンにつめて過ごしていました。
時間が解決してくれる、とはよく言ったもので、本当に少しずつ、少しずつですが、沈んでいた気持ちがマシになったように思います。
時間は時には人を救ってくれます。
それと同時に本当に残酷なものでもあります。
後輩のみんな。
今どんな気持ちでしょうか。
最終日の蒲郡のあの瞬間に感じた気持ちを
今この瞬間まったく同じように持てている人はどれくらいいますか。
きっと皆やる気に満ち溢れている頃だと思うので、余計なお世話かと思います。
ただのいちOGの戯言だと思って流して下さい。
新学年になって自分の裁量が増えたり、遠征に参加したり、やっと自分の船を持てたり。
代交代して色々大変な中でも、凄く充実してると思う。
寒くなってきたね。冬練のある朝、ベッドから起き上がるのも少し億劫な季節です。
けど、あの日感じた気持ちを
どうか忘れないで下さい。
日常に揉まれてふと忘れかけるけど、あの日の悔しさをどれだけ持ち続けられるかで皆はいくらでも強くなれると思います。
影ながらずっとずっと応援しています。
結局私には最後まで何も無かったし、最後に何か残すこともできませんでした。
けれど、私の周りはいつも勿体無いくらい本当に素敵な人たちで溢れていました。
このことが私の最高の自慢で、誇りで、幸せでした。
今まで本当にありがとうございました。
井手沙緒里
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S43卒 都外川(ととがわ)修一 (金曜日, 10 12月 2021 11:07)
拝見しました。コメント4人目?ですが、人事部長にはアドバイスが沢山あります。1・2コメントします。
部マネージメントシステムの考えがしっかりしていない?なかで苦心されたと思います。部マネージメントシステムは田中航輝君から開始し代々で形になりました。樽谷君が組織(図)を作り、高山君が全体を構想し、長尾主将・平井君が文書化されたかと思います。全国運動クラブで部マネージメントシステムを持つのは九大ヨット部位でしょう。全インは上が8・10校、7七大学は京大がいますが、このシステムは持っていないでしょう。全インで上位に上がるにはPDCAが必要でその手段が部マネージメントシステムです。これしかありません。私の認識では完成度は6割です。今4年生は卒業まで未だ時間があります。(PD)CAを部マネージメントシステムに織り込み、足跡を残して卒業して下さい。メールで議論・アドバイスに応じます。