思い出のレース

こんにちは。

4年の下川です。

 

色んな人が書いていると思うのですが、レースシーズンが終わり、世間は試験シーズンとなっております。

一方の僕も一応期末試験たるものはあるのですが、1ヶ月後に迫ってきた院試に向けてひたすら焦ってるばかりです。

焦ってないで勉強しとけよって話ですが、色々やらなきゃいけないことが多くて、同時にこなせるほどの頭を持ち合わせてないので、結局何も手につかずにパニクってます。

とりあえず、やらなきゃいけないことからやろうと思います。

 

特にあまり書くことも思いつかず、最後の夏練を迎えそうなので、これを機に今まで出場してきた大会の思い出を軽く振り返ろうと思います。

 

まずは2年の新人戦代替レース

教育配艇で入江さんと出ました。

ブリーフィングで岡村さんが「勇気あるリタイアの推奨」とおっしゃっていて、本気でリタイアしようか迷ってました。

レースが始まると、お願いだからハイクアウト出てと言われました。当時の僕からするとこれが限界でした。

多分5〜6m/sくらいしか吹いてなかったです。

 

次に2年の九イン個戦

コロナ後の初の大会で同期ペアと出たやつです。1レースしか出てないですが、右に伸ばしている間に気付いたら左海面に行ってた艇団が遥か彼方にいました。同じく右海面に伸ばしてたメナードさんを仲間と思ってたのに、気付いたらその船も遥か前にいました。とりあえずよく分からないまま2上を走ってたら何故か何艇か抜かしました。理由は分かりません。

 

2年の全日個人戦

足立さんと出ました。

1日目の爆吹きでピンダウン中に470のレース海面に突っ込んだり、ランチャー折って沈したり、割と散々でした。

その代わり2日目は2位と4位という、その日だけで見れば日本一の成績でした。

 

3年の九イン個戦

死ぬほど緊張しましたが、1日目を何と社会人を抑えて1位という成績をおさめ、ほっとしました。しかし、ほっとしすぎたのか最終レースで沈しちゃいました。油断は駄目ですね。

入江さんにお前ほんとう〇こやんとの言葉を頂きました。

 

3年の九イン団戦

1日目しか出てないですが、最終レースが片振れのままレース成立してしまい、審問が夜中まであったらしいです。

僕は小戸の湯どころでゆっくり温泉に浸かって、家に帰って寝ました。

 

全日本個人戦&団体戦

2週間にも及ぶ遠征でした。

蒲郡のホテルがもはや帰ってきた安心感があったくらいです。あさんぽは個人的には好きでした。

あまりいいコースが引けなかったり、失敗してばっかで結構申し訳ない気持ちのまま終わってしまいました。

2日間のノーレースは未だに恨んでます。

 

4年の新人戦

初の後輩ペアとの大会でした。

想像以上に前走れず実力不足を痛感しました。

ヨットレースって難しいなって思いました。

 

西日本インカレ

1日目が全然走れず、その反省を2日目に活かしたら意外と前走れました。

酒井さんから5分間とりあえず伸ばせと教えて頂き、その通りにしたらほんとに前に出ました。スナイプは脳筋種目だということを改めて感じました。

 

これ以上書くと長くなりそうなので、次あと何回ブログが回ってくるか分かりませんが、ネタが尽きた時に続きを書こうと思います。

 

写真は仙台に行って、牛タンを食べた時の写真です。

引地のいい笑顔が魅力的です。

 

みなさん、試験頑張っていきましょう〜!

失礼致します。