お世話になっております。
九州大学ヨット部前主将の山下龍司です。
入部からの4年間を振り返りながら今の気持ちを書こうと思います。
浪人生活を経て、入学して初めて伊都キャンパスに通った日、大勢の部活動生、サークル活動生がビラを片手に花道を作って、新入生に大量のビラを配ったり、囲い込んで体験の申し込みをお願いしていたりして新歓活動がお祭り行事のようにされていて、そんな中、一際目立つ集団だったのが、ヨット部でした。ヨット部は統一されたウィンブレを着ていて、どこよりもかっこいいビラを片手に新入生に話しかけていて、僕も佐藤先輩に声をかけられ、大学では勉学に励むんだと考えて渋そうな反応をしていた僕に「お前は絶対に入る」と今を本当に楽しんでそうな自信満々の笑顔でそういわれ、予約をして試乗会に行きました。
試乗会でこの部活に入りたい、日本一を目指したいと思ったきっかけは、公民館でのご飯会の時に当時、主将だった永野先輩に「インカレで優勝した姿を想像したらワクワクしないか」と話してもらえたことと、次の日に練習見学をさせていただき、高校の頃、マークはディンギーに積んでいって自分たちでマーク打ちをして練習していたのにここではマネージャーさんが練習運営をしてくれていて、練習に集中でき上手くなって高校時代に勝てなかったライバルたちに再チャレンジできると考えたことでした。
一年生の頃、入ってから夏までで同期選手が6,7人になり、夏練習はほとんどマーク打ちと動画取り、ヨット部に入ったのに全然乗れなくて仕方のないことだとは思いながら何のためにしているんだろうと大好きだったヨットを嫌いになりそうになりながら、海上にもノートを持っていき、乗れるようになったときに上手くなれるように準備をしました。不貞腐れている時もあった僕にヨットのことを丁寧に教えてくださったり、前を走ってかっこいい姿を見せてくださったりした先輩方。苦しいとき、うまくいかないときの支えはお互いにマーク打ちの時はありがとうと声を掛け合い、きつい仕事を交代しながらやってきた同期選手たちでした。やめようかと悩んだ時、それがあったからこそ続けることができました。ありがとう。
二年生は代が始まってすぐ、コロナが流行り、幾度となく部活動が制限されて満足に練習できませんでした。そんな中、ダークホースと揶揄されながら上野と出た九州インカレ個人戦、全く歯が立たず、涙をこらえて誰も近づかないまま二人とも無言で解装しました。終わった後に愛宕に走りに行き、次の日は九イン団体戦、運営に入り、終わったら雨が降っていたけど、また愛宕に行きました。人生で一番悔しい経験でした。もっともっと努力しようと決意しました。そして、コロナ禍で現地に行けないままこの年のインカレは終わってしまいました。大好きだった「ひとつに」のスローガンがコロナに遮られたのが悲しかったです。
三年生、上野と代交代初めに二人だけで全日本470に参加し、レース中はずっと喧嘩していたけれど、ゴールドフリートに残ることができたり、憧れだった選手とご飯を一緒にできたりとたくさんの経験ができました。選手経験として本当に良かったし、一番楽しかったレガッタでした。小戸に帰ってからは、矢吹さんと組み、また練習に励もうとしたら、またコロナで練習ができなくなりました。いつ練習再開できるかわからず、もどかしい思いの中、たくさん愛宕に行って動画を見ていました。上手くなることだけしか考えなくてよくて、いろんな人に技術について聞きに行って矢吹さんを困らせてばかりでした。そして、始まった春練習は朝8時に海に出て、昼も海上で食べて17時頃に着岸して疲れているはずなのになぜか愛宕に行っていました。レースでは九州では勝てていたけれど、コロナで延期されてインカレ本番前にあった全日本個人戦で実力が足りないことを知った時にはもう遅かったです。
これが、三年生までの自分でした。そして、同期選手、4人の中で役職を決め、主将になることが決まり、上位校との実力差を埋め、このチームを強くするために自分なりに必要だと思う新しいことにこの一年間、多くチャレンジしてきました。その中で得た答えは、強くなるために必要なのは練習の質と量、そして、船の整備、トレーニング、生活、それ以外にないということ。勝つために必要だと思うからこそ、嫌われてでもいいからとにかく言おうと思い、口に出し指摘し、その分、自分は誰よりもやろうと思い、ハーバーに通い、三船さんから技術に関することを、プレみやざきのあにさん、としさんには整備の正しい方法を教えていただき、その他、多くの人からたくさんのことを学び、実践しました。自分の船からラバーの整備、マークの手入れ、朝のマネ座学、トレーニングの実践、誰にも知られなくていいからとにかく自分がチームのために動き続けるんだと。
ほかに考えていたことの一つは、自分の武器をみんなが持つこと。集団生活の中で、人と比較をすることで、自分の特徴が明確になると考えていて、その中で、ほかの人と違う自分だけの特別な強みを見つけ、育て、自分はこれだけは人に負けないといえるような武器を作ることが何よりも重要だと思っていました。そして、それはどんなことでもいい。自分で自分を認められるところ、僕は誰よりもヨットバカでいること。その人だけの特別な強みを持っている人が一つの目標のために集まり、九州大学ヨット部を形成することが勝ちや素晴らしい集団になることにつながると思っていました。
一番、濃度が濃かった4年生を振り返ると、チャレンジしたからこそ多くの学びがあったと思います。ヨットの技術や整備のこと、人との関わり方のこと、生活面のことなどここに書ききれないほどありました。どんなことがあろうとも、前に前に突き進み、目標達成に突き進んできたこの一年間は本当に楽しかったです。成績としては、団体戦は九州でも優勝することができず、個人としても一番よかったのはインカレ前のプレレースでの10位だけで何一つ成し遂げることはできなかったけれど、後悔はとくにないです。それくらい自分の中ではやりきったと思います。
この1年間、チームのみんなにはたくさんの迷惑をかけてたくさんの衝突や困難がありながらも、こんな僕が主将という重要なポジションをさせてもらいました。本当にありがとうございました。特に4マネには多くの迷惑をかけっぱなしで、本当に大変だったと思うけれど、みんな、ありがとうございました。
先輩方
こんなにも生意気な後輩の面倒を見てくださり、指導してくださり、卒部されてからも応援してくださり、本当にありがとうございました。インカレ本番、来ていただいた先輩方、握手やお声がけ、本当にうれしかったです。広報等で遠くから応援していただいた先輩方も本当にありがとうございました。結果として恩返しできずに申し訳ない気持ちが残ります。その分、後輩に自分が先輩たちにしていただいたように、これから少しでも自分にできることをしていきたいと思います。
同期
たくさんの迷惑をかけました。ごめんなさい。そして、本当にありがとう。
後輩たち
自分の原動力の一つでした。常に厳しいことばかり言っていましたが、意欲高く頑張ってくれる君たちが本当に大好きでした。口下手で申し訳ない。なにかあれば、いつでも頼ってください。ヨットを大いに楽しんで、目標に向かってひたむきに頑張って。ただただ心の底から応援しています。
最後になりましたが、自分がこの四年間、幸せなヨット部生活を送ることができたのは、監督、顧問、帆友会の先輩方、同じ時を過ごした先輩方、同期、後輩たち、部外の技術指導やレース運営をしてくださったすべての方々、声掛けをして温かく見守ってくださった方々、他大学の友たちや話しかけてくれた高校生たち、これ以上ない支援や応援をしてくれた大好きな家族、素敵な人たちに囲まれていたからだと思っています。本当に幸せでした。
これからも大好きなヨットに何らかの形で携わっていけたらと思います。今まで本当にありがとうございました。
九州大学ヨット部 95代主将 山下龍司