及ばざるは過ぎたるよりまされり

明けましておめでとうございます。

レース技術部長の久保です。

 

数年ぶりに紅白を見て、除夜の鐘が鳴ると近くの神社に行き、一年の祈願をするという日本人の正月ルーティン―ンをこなしました。

大学に入ってからの2年間はまともな年越しをしておらず、1年生の頃は太宰府の屋台バイトで焼き鳥のにおいを体にしみこませながら、2年生の頃は友人と桃太郎鉄道で憎悪にまみれながら過ごした僕にとっては、平穏な日本人の心を取り戻す優雅な正月でした。

今年1年は穏やかな心をもって過ごせればいいなと思います。

 

「及ばざるは過ぎたるよりまされり」

 

僕ら大学生は穏やかな正月を過ごしましたが、受験生はそうではありません。電車にのると、必死に単語帳を開いている高校生たちが目に入り、数年前の受験時代が思い出されます。

 

高校時代、いつも勉強する時に使っていた奥の和室には、達筆な字で書かれた額縁が飾ってありました。そこには徳川家康公の遺訓が記されており、受験で頭が疲れていた僕には妙にかっこよく映り、頭に残っています。その中に

 

及ばざるは過ぎたるよりまされり

 

という一文があります。解釈によれば、

 

何かをやるとき、なかなか到達できない方が、やりすぎてしまっているときよりは良い。

 

ということだそうです。文の意味は理解できていましたが、当時の僕はなかなか納得がいきませんでした。なぜ、なかなか到達できない方がいいのだろうか。受験でもスポーツでも最高率で結果を出す方がいいのではないかと。

正月久しぶりに実家に帰ってこの額縁を見たとき、そのころの気持ちを思い出し、遺訓の背景を調べてみたところ、どんな時でも気を抜かず、自分のすることはまだまだ及ばないこととして、何事にも励んでいかなければならないという自戒の意味があるとのことでした。

万全な天下統一を成し遂げるため、謙虚な姿勢で優れたものから学ぶ姿勢に、あらためて感服しました。

僕もどんな時でも努力の積み重ねを忘れないようにしたいと思います

 

家康は、死を目前にして、秀忠に「徳川の世は安泰だろうか」と尋ねた。安心できないという秀忠の答えに満足したそうです。

引退前に後輩たちにそう言えるように頑張ります。

失礼いたします。